神戸、雑感
神戸で一緒に点灯した中学生、ろうそくを並べた保育園のこどもたち。みんなあの震災を知らない。都会の街だから人の入れ替えも多く、震災以後移り住んだ人も3分の1になり、語り継ぐ難しさ、伝えていくことが大切だってことをこれからも続けていくんだろう。それが共助になる。
中越地震から今年で5年、まだ何をするか迷っているけれど。
10歩も歩けば知り合いにあうような小さな町でこの震災を今後どう伝えればいいんだろ。
「ボランティアは人を救えない」そう言う言葉もきく。ケレド・・
神戸で一緒に点灯した中学生、ろうそくを並べた保育園のこどもたち。みんなあの震災を知らない。都会の街だから人の入れ替えも多く、震災以後移り住んだ人も3分の1になり、語り継ぐ難しさ、伝えていくことが大切だってことをこれからも続けていくんだろう。それが共助になる。
中越地震から今年で5年、まだ何をするか迷っているけれど。
10歩も歩けば知り合いにあうような小さな町でこの震災を今後どう伝えればいいんだろ。
「ボランティアは人を救えない」そう言う言葉もきく。ケレド・・
母の開眼戻しをしたお位牌の預け先に悩んでいた時に、実はたんすの中に隠してあったのだ(内緒だけどw)同じ家に宗派の違うお位牌をおいてはいけないとこのあたりの言い伝えがあるようで、前もって言われていたので仕方なく風呂敷に包んで隠し持ってた。分骨して永大供養をするときも同じ。
たしかに言い伝えは重要なのかもしれないけど、ココロのせまい考えなんだなと思った。娘がもっていてもいいんじゃないの?とは誰も言わない。肩身の狭い思いをさせてしまったなぁ。
永大供養をしたので今はその心配もないし、妹弟ももし死んだらそこに入ろうと思うと言い出した。できればあたしもそうしたい。
その前に献体したいんだけどね。
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人手があるから、報道用に配置できるんだよなぁ。あの現場にビデオにカメラがいたのしってたか?
と聞かれたのは、中越地震の奇跡の生還といわれてる現場での話し。
地震直後に地元の人(消防職員)たちが、がけのうえから車がおちそうな中から人を救助したとか、暗闇の中で手探りで人を助け出しても誰もみてない、カメラもない。通信室での手書きのメモが飛び交ってて、今見たら何かいてるのか解読不明なメモだったことなど。たくさん話をきいてるんだけど。
装備に違いはあまりない。できることだって違いはない。と現場の人はいう。
報道専用に動くやつがいればっていうのであたしがやるwって立候補しといたw
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今までの仕事ってたいてい接客業だったなぁ。役に立つのかどうかわからない販売士検定もってたり。受付&事務とかインストラクターとか販売業務もそうだし、ついでにお水もw。新聞読んでないとその日の話題にこまったこともあるし、実際お客さんにそういわれたこともあった。ケータイ販売だとマニュアルがあって何回か講習みたいなの受けたけど、そのとーりにいかないことが日常。謝罪の仕方がなってないっていきなり怒り出されたり、電話でぺこぺこ頭を下げながらあやまってみたりさ。
先日、酔ったお客さんが転びそうになったので「気をつけてくださいね」と言ったら年寄りじゃないと怒られた。お店をでるときに普段「ありがとうございましたー、お気をつけて」と言ってるその流れのつもりだったんだけどね。雨風つよかった日なので「傘のお忘れはありませんか?」とか付け足すとかその日の雰囲気で言ってるだけなんだけど、言われたほうにしてみたらむかついたのかもなぁ・・
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昨日のイベントで今年の災害と復興事業の写真を展示して一番熱心に見ていてくれたのが市長の奥さんだった。
四川地震の写真と一緒に阪神淡路大震災の恩返しの記事をおいてた。興味があって読んでくれた人はいなかった。市内の人で恩返しをしたいと思ってる人はいるのだろうか?かえさなきゃいけないと少しでも思ってる人はいるのだろうか?
被災して4年。もう復興したから、自宅も直ったから関係ないという雰囲気に感じた。地震はなかったとこになってしまっているように感じた。これは去年もおととしも感じた。まだ仮設にいる人もいた時期だったのに。
被災の度合いが違う。
声をあげる場所がない。だから神戸にいくと話がしやすい、受け入れてくれるという声もある。
もうここは復興したのだろうか?
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